子供が可愛くないというお母さんは変じゃない。

子供が可愛くないというお母さんは変じゃない。

最近は、テレビや雑誌でも毒親という言葉がよく発信されていますね。

私がセラピストを始めた13年前よりも毒親という言葉が当たり前になってきました。

そんな中で、たくさんの方が、『自分は毒親では?』と気になっている方も多いのではないでしょうか?

それについて、今日は、特に『わが子が可愛く思えない』という方お声についてお答えしていきたいと思います。

子どもが可愛くない思えない、

抱きしめることができない

というお母さんたちのご相談は今までたくさん受けてきました。

そのほとんどの理由が『心の余裕』がないというのがほとんどでした。

女性は結婚し、妊娠、出産を通して、母親になると思い込んでいますが、実は全然違います。

子どもを産んだからといって母親になんてなれません。

それは、今までの神話的概念であって、私自身も、そして、たくさんのお母さんたちも、すぐに母親的な愛情があふれ出てきたかというとそうではないんです。

もちろん、生まれてきた我が子はとてもかわいいです。どんなにお猿さんみたいな顔でも可愛いって思えます。

ところが、そこから、眠れない、お風呂すらままならない、そして、夫の世話(自分のことくらい自分やれと思うのがころころからです)

人によっては自分のビジネスなどに追われて、子育てがこんなに大変だったのかと初めて知るのです。

子育ては人間で言えば、初めて無償の境地で、命を育むという究極の『自己犠牲』だと私は思います。

これ以上の自己犠牲を私は経験したことはありません。

毎日毎日、自分の心の前に、我が子のこと。自分が食べたいものをさておき、我が子の食事。

自分の未来より、我が子の未来。

また、どんなに体力的に苦痛な発熱や病気の最中でも、我が子のことを意識がある限りはやってしまう。

そんな犠牲をこの人生でだれが払ってくれたのだろうか?とつくづく我が母親のすごさを思い知らされるのも子供が生まれたからでした。(でもかなり疑問もありましたが笑)

髪振り乱して子育てするって、本当だなって思っています。

きれいにしていた自分に手をかけたげれた時代から、それができなくなってしまう自分を受け入れて許していく。

 

子育ては

想像以上だったのです。

そこから、二人目、三人目と育児をしていけばなおさら。

かなり良い加減に手抜き、そして、楽観的、そして、おおざっぱでないと育児は苦痛になってしまう。

それは当然でしょう。

ちゃんとしようとするからこそ、ほとんどのがお母さんがちゃんとできない自分を責めてしまい、子育て自体が苦痛になってしまう。

ちゃんとできないからこそ、我が子を責めてしまい、そして、自分を責めるという悪循環。

ちゃんとできない自分がダメなんだから、自分はダメな母親。自分をダメダメと責め続け、でも、努力しようとしたりして、

ちゃんとできないとまた自分を責める。

遂には、子どもにヒステリーがでてしまい怒鳴ってしまう、子どもに手を上げてしまう。

そのたびに、お母さんも子供も傷ついていく。子育てこそ、あまりに自己犠牲ゆえに、こんなにやってるのにまだ駄目なの?と、自己肯定感が下がってしまうものだと私は思うのです。

 

もしかしたら、人生で一番思い通りにいかないのが、子育てなのかもしれないと。

じゃあ、子供を産まなきゃいいとか、思うかたもいるでしょうが、それでしたら、全ての生命はこの世に誕生しない。

産まなきゃいいというと話は別なんです。

そこまでしてもなんとか子育てをやっていきたいからこそ、苦難なんだと思うのです。

そこまでしても授かりたいと思う気持ちが私はある意味、人間の本能なんだと思うんです。

また、子どもは自分の想像していた性格とは違い、子どもたちすべて性格も、趣味嗜好も違います。

それに合わせながら時には、叱咤激励しながら、工夫していく。とても頭を悩ますと思うんです。

自分と同じ性質や生き物ではないので工夫しなければ、伝えたいことも伝わらないんですね。

私のことですが、子どもがおもったよりも神経質だったので、産んでからしばらくは大変でしたね。

寝ない

ずっと一人でしゃべりかけてきて、答えないと怒る

気が強いので、思い通りにいかないと泣き叫ぶ。

車が嫌い。

来客があるとどこまでも寝ない。

これは、新生児のときから。いろんなサイトで調べてもその方法なく、私自身が寝れないことに途方にくれたことを思い出します。

生後、5ケ月に攻略法を学び、これだ!!という方法でなんとか、最長3時間くらい寝てくれるようになりました。

また、大きく成長していくにつれて、その子の性格がゆえに、親が悩んだり、どうしたらいいかと途方に暮れることもあると思うんですね。

どう向き合ったらいいか?どうしたら子供が理解できるか?なんで何度も同じことを繰り返すのか?

思春期はとくに一進一退。

 

子供はすぐはできないのだと分かってはいても仕事があったり次の家事をしなきゃいけないからこそ、イライラは収まらない。

こんな繰り返しなんですね。

もっと夫が協力的だったら、、というお母さんもいっぱいいます。

そのご飯、ご主人が作れないんですか?と聞くと、主人は家事できないんです。という返答もあります。

うーん、私の個人的な意見ですが、子どもが生まれる前にご主人もご飯を作れるようになっておくといいでしょう。お母さんだって病気になるし、風邪だって引く。そのたびに何もできない夫であれば、結婚が負担でしかないということです。奥さんができることをご主人のできるようにしておく。これこそ、大事な助け合いなのです。でも時代が違うとまったく夫の理解も変わってしまいますね。私の親世代は夫の協力なんて皆無の時代です。

 

ところで、改めて思うのが、

我が子が可愛くないと思ってしまうお母さんはお母さん個人の問題なのか?と私は疑問です。

もう少しゆとりが持てるように、周りの協力が必要。核家族時代ですからなおさらですね。

そして、お母さん自身がちゃんとしないということ、手抜きや息抜き、そして、できないことを理解すること。

また、時が解決する(成長と共に解決する)ことを知ることがとても大切なんですよね。

ママ先輩に相談したり、

幼稚園や保育園の先生に相談してみる。でも、我が子だからこそ、解決策に頭を悩ます。

みな、そうやって自分なりに努力して子育てしてるけど、それでも向き合えない、可愛いって思えないからこそ苦しむ。

でもね、裏返してみてください。

可愛いって思えないってことは『本当は愛してみたい』という願望なんですよね。

我が子を抱きしめてみたい

我が子をかわいいと思いたい。

それって母親になっていく最中だからとても自然な感覚ではないでしょうか?

 

子育てにおいて、3人も子供がいるから立派なお母さん?というのはおかしなことです。

人数は関係ないんですよね。

もし、それが、子どもが成人してから我が子が可愛いって思えたならそれでいいと思うし

いまだに可愛いって思えないっていう60代の方の相談もあります。

とはいえ、本当に子育てを楽しんでいる方もいる。

でもね、どれも子育てだし、どれも育児。

自分が成長しながら、子どもと共に生きていく。

いずれ、子どもが自立しても、一生お母さん。

よく、私は、

産んでしまったが最後っていいます。

それは、どんなに気にしたくなくても、我が子はどこまでも心配です。

どこまでも気になってしまう。

だって、もともとお腹の中で一緒に生きていたんだから。

もう、自立する依存するって何がどうなんだかさっぱりですね(^_-)-☆

 

でも、一生のテーマではあるというのは間違いありません。

子どもが可愛くないって我が子が大人になってから思うかもしれないし、

ずっと愛していた、でもいろいろあって、今は嫌い親子の縁を切ったっていうご相談もあるんです。

親子関係もその時のその時で違いますし、我が子も一生かけて成長しているのです。

だからこそ、『今』を大切にしていくことが私は子育てにおいて大切にしていることです。

今できることを最大限に☆

みなさんは、我が子が愛せないという感覚についてどう思いますか?

私は母親だから愛すべきだと思いません。

お母さん自身がどうしたいか?だけなのです。

愛せないからこそ、自分を責めてしまう感覚。それでいいのではないでしょうか?

また、これは、潜在意識の理論で言えば、インナーチャイルドの癒しとも言いますが、実はそれだけではないんですね。

周りのサポートの変化だけでも、大きく変わってきます。

本当に緊急な場合は、癒しが必要ですが、癒しもいろいろな癒しがあるので、そのあたりは自分なりに調べてみましょう。

また、母親自身のバーストラウマのある方もいますので、そのあたりは慎重さが必要ですね。

赤ちゃん自身のバーストラウマもありますので、お母さんだけが問題だと思わないことです。

深く深く、自分を見つめていくきっかけにもなる子育てを通して、おかあさんが自分の自己実現をしているのです。

ああなりたい、こうなりたいという願望実現を一度手放して、

自分の魂を生命すら犠牲にしていく自己実現。これぞ本当の自己実現だと私は思います。

自分をさておき、誰かのために生きることほど、素晴らしいことはありません。

まさに、利他の精神。

見返りを求めない究極の学びそれが、子育て。

たくさんの方に体験してほしいと思います。

 

最後に、子育て真っ只中の私ですが、子育てから何を得ているのか?

というと、。。。

 

究極の愛を子どもから与えてもらっています。

息子を見ていて感じたのは

親の愛に応えようとする、愛してもらってるからこそ、自分を犠牲にしてそれに応えようとする姿。

実は、親子は、自己犠牲のつながりなんではないか?と最近感じます。

 

好きなお菓子を一つくれたり。

テレビ番組を譲ってくれたり。

私がつかれたら荷物もとうか?

と気遣ってくれたり。

まだ、120センチにもならない小さな体で一生けんめい頑張っている。

 

親の愛に応えようとする姿は何とも言えず、心が温かくなります。

でも、あまり無理しないでね。嫌な時はイヤダっていっていいんだよと声をかけながら互いに気遣いながら。

そんな風に思えるのって今だけの時間だとも思いますが、

息子が自立したあと、その思い出を胸に生きていけたら最高だなって思います。

 

究極の依存であり、究極の癒しである子育て。

我が子が可愛く思えないお母さんたちに伝えたいのは、

それでもいいのでは?ということです。

癒すことも大切。

でも、よくよく自分を俯瞰してもう少し自分を褒めてあげてほしいんです。

そして、子どもたちからの優しさを受け取ってください。子供はあなたの絶対的応援者です。

たまにチクリとする言葉は何を意味してるか?

貴方を休ませようとしてたり、

貴方を励まそうとしていたり、

貴方の人生を軌道修正しようとしてたり。

その言葉の深さを見つめてみてはいかがでしょうか?

子どもはどこまでも私の先生だと私は感じています。

その先生の寝顔を見ながら私はいつも、胸が熱くなり、一日の反省をしたり、息子への愛おしさを噛みしめているんですよ。

みなさんは、子どもの寝顔見ながら何を思っていますか?

そして、あなたのお母さんはあなたをどんな思いで育てていたのでしょうね。