あたしお母さんだからがなぜ、炎上するのか?

あたしお母さんだからがなぜ、炎上するのか?

こんにちは。高橋です。先日ちょうど、お母さんネタを書いたところでしたが、今回も、おかあさん系のことで、なぜだか、炎上しているということを聞いて早速その歌詞を確かめてみました。

正直な気持ち、めっちゃ感動して涙がでました。

純粋に、こんなに自分が愛おしいと思える存在に出会えたことに感謝と感動の涙でした。

どうしてこんなに素晴らしい歌詞が炎上するのか?と驚きました。

私自身の子育てにおいてそのままの体験でした。

 

独身の頃はおしゃれして、ダイエットして、ピンヒールはいて爪なんか伸ばしてみたりして。

でも、結婚してその真逆。

子供が顔を触ったりするから産後は、すっぴん。顔も洗う暇もない、風呂も入れないくらいでした。

もちろん、仕事もすぐにスタートしましたが、それはそれでまたいい経験でした。

息子やペットもいるので、爪もみじかくし、ネイルはやめていました。もちろん、仕事柄ネイルをやめていたんですね。

いろいろな要素があります。

また、食生活も変えました。白砂糖を一切使わなくなり、ご飯も土鍋て炊くようになりました。

御だしもちょっとお高めの無添加のもの。

塩も食塩ではなく、天然の海水から作ったものを。

それもやっぱり我が子により良いものをと思う気持ちです。

若い時と比べて確かにずいぶん自分が変わりました。

それも私は息子のおかげだと思っています。

どうしてか、その歌詞は自己犠牲だ!!ということがよくないことみたいに取り上げられているのです。

私は本当にその歌詞に感動したんですよ。不思議でなりません。

私はバリバリ働く母親ですので、周りからは自己犠牲を働いてまで子育てしてないという風に見られていますが、全然違います。自由に生きてきたからこそ、正直、子どもが生まれるってこんなに制限されちゃうの?自由が奪われちゃうの?と驚いたのが本音です。

ところが、それすらも、私は、嫌というよりも、こんなことができるのは今しかないという今しかできない楽しみを、そして、息子の成長や息子と関わりを価値ある時間と大切にしています。

仕事が忙しい時はそれはそれは、大変でした。

出張もありましたし、やりたいように仕事もしていました。いまもそうしていますが。

でもどうでしょうか?思い通りにいかないことももちろんあります。

子供が風邪をひいたり、ケガをしたり。

それは自己犠牲か?と言われたら全然違います。私は単純に息子が心配ですから、自己犠牲がつらいとも思ったことはありません。

ある意味、この歌詞のように、私は子育てをして自己犠牲もたくさんありますが、それ以上に本当に幸せなんですよ。

幸せで幸せで仕方ありません。

でもどうして炎上するのか。

それは、

お母さんたち、社会で戦わなきゃいけないから。

どんな事情であり、社会で生き抜いていかないといけないから。

会社で子供が熱だして、え~~困る~~って迎えに来てだなんて誰が行くのよ?今から会議よと切羽詰まっちゃう。

炎上する理由は、今の社会の仕組みや、お母さんの心のゆとりのない状態に追い詰められてるからだと思うんです。

子供とゆっくり子供だけと向き合う時間がどれくらいあるのだろうか?

あるわけないじゃん!!家事もしなきゃいけないし。

ってなっちゃうわけ。それって、夫のサポートがあまりなかったり、仕事で膨大な責任が生じていたり、家事に追われているわけだったり。親に頼れなかったり。

いろいろな事情のせいだと思います。

もし、これら上記のことがクリアーしていて、なんのストレスも抱えていなかったとしたらあの歌詞はそんなに炎上しないのかもしれませんね。

夫も、自分以上に家事をやってくれて子育てにも協力的。帰宅もいつも18時には帰宅する。

夫が子供のお弁当を毎日作ってくれる。

夫が会社を切り上げて保育園に迎えに行ってくれる。

疲れたと言ったら夫が食事を作れる。

子供のお迎えも夫がやってくれる。

職場のみんなも理解があり、一緒に子育てしているような温かい環境にある。

これ、もし当たり前になったら、あの歌詞は炎上するかなあ。

また、以前に母親とはこうあるべきという呪いをかけられた人にとっても、お母さんはこうあるべき見たいなことを言われたり目の当たりにしたら嫌になっちゃいますよね。

でも、あの歌詞はそんなこと書いてないんです。

純粋に、我が子に出会えてよかった。幸せだというお母さんの純粋な想い。

もちろん、あなたのためにこうしたんだ!!なんて言えませんよ。

でも、それを第三者しかも男性が代弁してくれたんですよ。素晴らしいことだと私は思いますよ。

 

ちなみに、私は、子どもに自己犠牲を払ってないかと言われたら、

はっきりと、自己犠牲払いまくってますと言います。

でもそれは、私にとって本当に幸せです。

いらないお菓子をどうぞと口に入れてくれますし、

回転ずしにつれていけ~~と胃腸の調子が悪い時に言われますし、

ちょっとこれちゃんと見た?と宿題を何度も持ってきて褒めろと言います。(疲れてるときに)

電話で話していたら、『ねえ、まだ??早く切ってよ』と大きな声で言われます。

ひとりでゆっくり湯船につかりたいけど、『一緒に入ろう』となんどもいわれ、

風邪で声が出ないときも、『ねえ、絵本読んで』と言われます。

でも、どれもどれも愛おしいのですよね。

私の場合はご主人が協力的だからでしょ?といわれそうですが、今はそうではありませんね。

全て私が負担してやっています。だって、都内にいますからそれは仕方ありません。以前に比べたら、子どもとの関係は私だけの負担になっています。ところが、本当に幸せなんですよ。

我が子と向き合えるこの一時のこの時間は二度と戻ってこない。

一緒の宝物だなって思っています。

この愛おしい一度だけの時間にこうして、気持ちにゆとりがあり向き合えることがどれだけ贅沢かと感じてなりません。

あの歌詞のように、どんなことも我が子のためならたまらなく幸せなんです。

以前の私は、子どものために服装を変える、スニーカーを履く、髪も、爪も、生き方も変えるだなんてどうかしていると思っていました。

でも、生涯、私をこんなに変えてくれる人に出会うことはもう二度とないと思います。

恋人でも、夫でもない、我が子という存在が私を成長させてくれています。

自分にやりたいことを前に、やはり、我が子の夢をサポートする。

誰かの何かを全面的に応援させて燃えるこの境地こそ、自我実現ではなく、

自己実現だと私は思うんです。

魂で何かを実現させていくプロセス。

子供の未来は子供が作るものです。

ただし、そこに携われる時間は親は一瞬しかない。

あと数年すれば、我が子は自分で選択し、自分で決めて進んでいきます。

それまでに、しっかり一緒に価値を構築したり、愛情をもって関わることを肌で感じたり,親の仕事を目の当たりにしたり。

子供の未来は子供が作るまで、その間に関わることが楽しくてなりません。

 

自己犠牲がダメではなくって、自己犠牲を払いたくなるほどたまらなく愛おしい。

世界で一人の存在だよと愛してるよと言いたいだけなんですよ。

 

子育てを必死にやっていいし、親がわが子のためにやってるのはどの親も事実ではないでしょうか?

誰もほめてくれない。みなやってるからそれくらい当然というプレッシャーが親を苦しめているようにもいます。

も少し、気楽にやっていたいのに、社会がそうさせない風潮がある。私はそう思います。

ある意味、私は本当に自由にやってるからこそ、その風潮に害されることなく、私は自分が子供と向き合いたいようにゆとりをもって向き合っていれる。

この歌詞の炎上は社会に子育てに対する潜在的な大問題が潜んでいる。

そうだとしか思えません。

男性目線の社会、会社がお母さんたちを追い詰めていると思います。

母親は完璧じゃない。

手を抜くだけ抜いて、楽にいきられるからこそ、子どもと向き合っていける。

もう少し、お母さんたちがオアシスにいるように、生きていけたらこの歌詞はみんな涙して共感してもらえるのではないでしょうか?

我が子のために自己犠牲払ってるけど、夫は全く理解がない。

我が子のために自己犠牲払ってるけど、会社はまだまだやれという。

これが、お母さんたちの心の叫びではないでしょうか?

 

お母さんたちはこの歌詞に怒ってるのではなく、

夫や、社会や、上司や無理解に怒ってる。完璧なお母さん像に怒ってる。

もっと自由を勝ち取ろうとしてる。

もし、この歌詞に何らかの違和感を感じた方がいらっしゃったら、少しだけ自分の心を内観してみてはいかがでしょうか?その違和感に人生のヒントが隠されてるかもしれませんね。