なぜ、思い通りに生きれないか?VOL2

なぜ、思い通りに生きれないか?VOL2

さて、昨日はなぜ、思い通りに生きれないかVOL1を書きました。

http://sayuri-takahashi.com/未分類/post-9341

こちらをご覧ください。

 

 

さて、今日は、その続きです。

そもそも、思い通りに生きれなかった私の前半の人生は、親の養育も元にあったのがまず一つ。

当然です。赤ちゃんで生まれてきたのですから、親に育ててもらわなければ人間は死んでしまいます。

ところが、その養育環境や親との相性もあることから、人間はおかしなことに親子という人間関係でまず、幸せか、そうでないかも決まってくるという事実があります。

親は選べない。子供は選ぶ基準もわかりませんし、選択を変更することはできませんね。

今は養護施設などもありますから、そちらで保護してもらえますが、私は、養護施設の門を叩こうかと思うほど当時は疲弊していました。これが、中学校の頃ですね。

まあ、そんなこんなはありましたが、一概に親がダメとかそういうことではなく、

親にも精神的成長速度があるということ。子供の精神年齢や思春期の激しい衝動も重なりいろいろうまくいかなかったのか?と大人になり思ったのですが、

人間としてのコミュニケーション、お互いを尊重する、意見を交換する、ヒアリングするということができないと、親と子も、互いが大人になってからも関係性はうまくいかないということですね。

簡単に言えば、親子と言えども、赤の他人ですから、コミュニケーションについては、

『わかっているはず』

『以前もこうだったから』とか、相手を決めつけないことです。

どうしたいか?なぜ、それを思っているのか?そのために何を望んでいるのか。

などなど、具体的に話し合いができることが最重要です。

親子とあっても、会社にように会議やミーテイングが必要ですね。

そのことを思うと、やはり、親子関係において、コミュニケーションが歪んでしまったり、意図が伝わらない場合は、『距離』というツールを用いて、親子関係を保ったりする工夫も必要ですね。

毒親という言葉がありますが、その言葉は親を毒とするのか、また、親を『毒』としてその毒を解毒するくらいの自分になってみせるのか?その違いで、大きく人生は変わっていくでしょう。

もちろん、みんながみんなそうじゃないにしても、毒にやられていると分かればそれをどうするか?は本人の選択でしかありません。どうぞ、毒にさいなまれているかたは、健全な選択を。

 

子供も大人になり、冷静に社会を見渡すと、自分がどんな人間かおおよそ見えてきます。

親もそうですね。『親』としていつまでも甘えた視点で親を見ているのではなく、

ひとりの大人、一人の人間として親を見て上げれるようになると、相手を互いに尊重できる関係になれるのかなと思います。

いつまでも親にせいにしない、いっちょ前に文句言うのであれば、自立してから言うというのは、

まっとうな意見だと思いますし、同じ土俵に上がらなければ、いつまでも自分の人生の不具合を親のせいや社会のせいにしているのはあまりにもみっともないなと今はとても思います。

自分のことですが、そのみっともなさにどこか気づいていた、だからこそ、不遇さから這い上がりたかったんでしょう。

 

 

さて、話はそれましたが、

この世で、無理に付き合わなくていい存在っていうのは私は家族だと思っています。

また、無理に付き合いを持続させようとするのも家族だとも思います。

 

幸福になりたいとおもうのであれば、

 

 

家族は分かり合うものという思い込みを棄ててください。

分かり合えませんし、分かり合えることはありません。

言い方を変えれば、分かり合っても分かり合わなくてもどっちでもいいということ。

これは、なぜなら、親子と言えども違う価値観を構築するからです。

親にいろいろと言われても、まず、『価値観が違う』という前提でいることです。

子育て中の方もこれは、大事ですよね。わが子と、自分の価値観や趣味嗜好は違うという前提でいなければ子供の人生をつぶしてしまいます。

まずは親の思い通りに生きないことが幸福に始まりだと私は思います。

これから、親の期待を裏切って成長していくだろう、息子くん。

 

しかし、自分にとって

思い通りに生きるって何だろうって思いませんか?

 

私は、思い通りに生きることは段階があると思っています。

私のように、不幸な人生から脱出することが目いっぱいの方もいるでしょうし、

そこから、立ち上がり、自分の人生を構築することも可能です。また、体調不良を改善することが先に場合もあります。

ところが、ほとんどの方は、

私のように、環境や、心において、すべてが不自由か?不幸か?とおもいきやそうではないんです。

どちらかというと、

環境はそこそこいい。親もまあまあ理解がある。

だのに心が窮屈なのです。

 

心が窮屈だからこそ、思い通りに生きることをどうも『すべてから解放されて自由に生きること』だと憧れを抱いています。

でも、冷静に考えると、それは、ちょっとおかしいよね?と気づきますが、

心が窮屈だとその冷静さもなくなってしまいます。

全てから解放される生き方について例えばね、、、

・毎日ハワイで、悠々自適生活

・お金も制限なくいくらでも使える生活

・車も5台、別荘も5個、家具家電は毎回最高値

・いつでも、高級レストラン

・お付き合いする人たちはセレブ層

・誰かと結婚したら幸せになれる

・誰に愛されたら幸せになれる

 

 

 

なんて、想像する人もいたりします。私も昔はそう会ったら最高に思い通りだし、幸せだろうな~~と思いました。

ところが、、実際には、そうなったらと考えてみてください。

あなたは、その中で劣等感を感じるかもしれませんよね。

ハワイで悠々自適生活ですが、宅急便なんてちゃんとこない。修理を依頼してもちゃんと時間には来ないし、英語もろくに話せない。

悠々自適生活でも、夫は愛人を作りまくり。。(笑)

愛されていてもずっと同じ形で愛が継続するか?は別問題です。関係性は年齢など状況により変わったりもします。

 

そのような毎日自由な生活を365日、毎日毎日繰り返して何が幸せなんでしょうか。

私は無理だ!といつに日か気づいたのです。

毎日何も心配しないでも、ご飯が出てくる生活。もう、これ、認知症まっしぐらですよ。

自由になりたいといいながら、実際に自由に生活している人のどれだけが

『ああ!!幸せで幸せで仕方ない!!楽しくて毎日充実している☆』と感じているでしょうか。

殆どいないと思います。飽きます。

今の現状から困難さから、早く解放されたいから、その世界に甘い魅力を抱いてうっかりとその世界を目指そうとします。

でも、冷静に考えたら、それって、人間として幸福を感じていられるか?というととてもとても疑問でしかないのです。

 

自由よ~~と言いながらも、心が自由そうではない人の成功話を私は以前よく、聞かされていましたが、高橋さゆりは、そんなのまったく興味がありませんから、

『なんだか、ギラギラしていて成功を演出していて残念感満載ね。』と憧れることすらありませんでした。

では、私にとって、どんな人生が思い通りに生きるということなのか。それを書いていきますね。

上記に書いたのは、

・思い通りに生きている風で、でも、こころは寂しい人

これ、世間ではよく、思い通りに生きている人に間違われている人の話です。

だから、成功者だよと紹介されても、???うそ!!と思っちゃう。

物質的、社会的、名誉的成功を収めていても、『心が満たされているかは別』なんだなと感じました。

 

では、私が思う、思い通りに生きるとはという定義は

・誰かのために自分の命を使って生きること

です。

人のために自分の生き様を提供できる。

誰かの笑顔のために、苦難を乗り越えていける

誰かの役に立つために、自分の時間を使える

何かを構築するために没頭できる

無我夢中になれること

目標にチャレンジし続けられること

自分より誰かのために身を投げ出せること

そして、それが、承認されなくても、自分自身が幸福を感じることができること。なんです。

これ、自己犠牲ではありませんよ。まったくもって違います。心が自由だと自己犠牲概念はなくなってしまいます。

それが、私が思う『思い通りに生きること』だと思っています。

何を目指してきたかというと、常に、皆さんのために何がどうあれば最高か、何がどうあったら、よい環境を提供できるか?

身の丈に合ったやれることをやったのではなく、背伸びして目いっぱいのことをやってきた。

多少無理しても、誰かの笑顔が見たい。ということをずーーーっとずーーっとさせてもらえることが本当に幸せだということなんです。

お金がないからできない?

時間がないから?

子供が小さいから?

いろいろ課題はありました。でも、全部、誰かのその人のために、全力投球するんです。

それが、私にとっての幸福でした。

もちろん、それが、意としない結果になることはもう、さんざんありますし、

人は自分の選択を誰かのせいにしたいことが多いですから、悲しいですね~~ということもいっぱいありました。(いちいち言いませんがね。そこにフォーカスすることも無駄です)

とはいえ、そんなことよりも、笑顔になるから、幸せになる方、人生が変わってくかた、その人の思う、大成功を収めるかた。

みなさんそれぞれ、自分を謳歌していらっしゃいます。

それこそ、私は思い通りに生きているということです。

その笑顔のために全力投球できるか?

また、その笑顔のために、心を鬼にして、嫌われる役をやって出れるか?

それも私は最高の役割だと思うんです。

 

大切な誰かのために嫌われ役を買って出でることも、私は愛情だと思います。

その人はその時に気づかなくっても、いつか、気づくかもしれない。

でも、一生気づかずに嫌われたままかもしれない。でも、それも、必然。

嫌われるかもしれない前提で、かかわっていく勇気も必要ですね☆

 

思い通りに生きるって、お金でしょうか?時間でしょうか?

それとも、名誉でしょうか、賞賛でしょうか?

私はどれも魅力的に感じません。

誰かの何かのためにその役割を受け入れ、一生懸命生きること。

これほど、美しいものはないと思います。

また、何かを目指し全力投球する姿。

また、老いていく過程で、老いを受け入れ、そのなかで、世の中の役に立とうとしたり、人のために、何かを残そうとすること。

私はどれも思い通りに生きている人生だと思うんです。

 

みなさんは、どうですか?

 

実は、思い通りじゃないという勝手な思い込みで、実はすでに、思い通りに生きていたりしませんか?

もちろん、あと少し経済的に豊かになりたい、

あと少し、時間にゆとりがほしいという思いはおありになると思います。

でも、工夫すればそれは、いくらでも可能ですよね。

全てが、誰かのためであるように。

生き様が誰かのためになれるって本当に幸せで幸せで仕方ありません。

もちろん、その中でいろいろな摩擦がありますが、

それすらも、『生存しているからこその摩擦』であり、成長の材料ですね。

人との関わりが一番自分を成長させてくれる。

愛といいながら、愛を伝えられない人。

愛といいながら、心を開けない人。

愛がほしいけど、愛に飛び込めない人。

愛してほしいのに、相手をやっつけてしまいたくなる人。

みなそれぞれ、課題があるのです。

それを受け入れて、また、その摩擦の中で、お互いに創意工夫していけるのが、私は幸せだなあ、、、と毎度思うんです。

 

みなさんは、その困難という摩擦から逃げていませんか?

時折逃げたくなるでしょうが、摩擦を少しだけよーーく見つめてみると、意外と気持ちいいものだったりもします(^^♪

思い込みをいったん脳みその外において、いろいろな出来事や人間の行動を観察してみると、

いちいち、腹が立ったリ、恐ろしい~~と疑てみることも激減してしまいます。

 

さて、今回は、思い通りに生きるということでしたが、いかがでしたか?

どんな定義で、みなさんが思い通りにいきるかは、自由ですね。

でも、心が解放されたいからと言って、選択すると、おかしな幸福になりかねない。

どうか、心を自由にしていける自分という人間を確立したうえで、

誰に笑顔を提供する側になる。

そんな連鎖が起こっていけばこの世はある意味、天国になるのかもしれませんね。

理想かもしれませんが、それすらも、今手中にあるとして生きていきたいなと思います。

 

ああ、今日も、私は本当に喜びと幸せがこみ上げてきます。